私は小学生の頃から習い事を4つしていた。
スイミング・体操・そろばん・野球である。
その内一番遅く始めた野球にどっぷりとハマってしまった。
それは小学3年生のある日近所のおばさんと母が会話していた。
「最近インターホン押してくるおじさんいてるらしいよ。お子さんいてますか?」って。
なんかそのおじさんが新しく野球チーム作るらしくて近所の小学生勧誘してるみたいと言っていた。
母は「へー」と言っていたがそれがうちにも来た。
見た目は50代のハゲた小柄なおじさん。後々聞くと銀行員という事もあってしっかりしたおじさんと言う印象。
「もしちょっとでも野球に興味あったら◯月◯日に△公園に来てください。」
仲の良い友達のところにも来たようでちょっと顔出してみよと言う事で△公園に向かった。
そこには20人くらいの小学生がいて来たメンバーに対してその小柄なおじさん(監督)が優しい言葉遣いで少しキャッチボールを教えてくれる。
後にも先にもこんなに褒められた事ないくらいその監督はみんなを褒めちぎった。入団させるために・・・
そして監督は奥の手を使った。
それは帰宅前に来た小学生20人全員にベースボールキャップをプレゼントした。そしてそれをまんまと持って帰った。その日弟は△公園には行かなかったが、私のベースボールキャップを見て「俺も欲しい」と思ったようで次の練習から弟も入団した。そんな子たちが更に10人くらい増えて計30人くらいの小学生が策略にハマった。
しかしさすがは銀行員‼︎正式に入団後きっちりとキャップ代は徴収された。
そして小学4年生から本格的に野球を始めた。みんな初心者で6年生が2人、5年生が3人、4年生が6人で私はすぐにもれなくレギュラーとして試合に出れた。
と言ってもまずキャッチボールすらできない私たちは1日の練習はキャッチボールのやり方を練習する事である。
練習するための練習をする。そんな私たちにすぐに試合は来た。
一生忘れることはないだろう。地元の県民グラウンドでセカンドを守っていた。まだ3月くらいでとても寒かったがアウトが取れない。打たれてはエラーの繰り返し。途中から降る雨。ただでさえ下手なのに雨がふるバッドコンディション。完全に神に見放されたまま2回コールドで20点以上取られた。
覚えてるのは全て守備のシーン。そしてみんな「自分のところに飛んでくるな」と思いながら守る。笑
今考えればそのチームに優っていたのは監督さんの情熱くらい。後は全て負けていた。笑
結局その年は公式戦と練習試合合わせて一度だけ練習試合で勝った。もちろん相手は2軍チーム。
これを我々は「奇跡の1勝」と呼んだ。
練習試合なのにゲームセットと同時に抱き合う選手。初めて見る監督のガッツボーズ。全てが報われたような保護者の笑顔。その様子を見た相手チームのニヤつき。
アメトーーークの「運動神経悪い芸人」の野球を見ているようだった。
そして次の年は何度か公式戦でも勝てるようになった。
そして自分の代の時は普通くらいのチームになった。
そしてそこでキャプテンでエースで1番バッターをしていた。
その時は対戦する相手チームの監督さんがみんな褒めてくれて少し有頂天になってた。そりゃ強いチームだったら目立たないけどこのチームにいるから目立ってただけなのにプロ野球を夢見てしまった。
そこから少しずつ野球バカに足を踏み入れてしまった。
プロに入るには中学からクラブチームで硬式野球をやって置いた方が高いレベルで野球ができて高校生になった時差ができると思い、迷うことなく硬式リーグのボーイズリーグに入団する。しかも隣の県のボーイズリーグに加入。週5回の練習はもちろん平日学校が終わってからナイターで練習を行う。
学校が終わると走って家に帰ってユニホームに着替える。そして電車に揺られて隣の県に行きそこから自転車に30分乗ってグラウンドに行く。なので行くだけで一時間以上。もちろん帰りは21時や22時は当たり前。帰って風呂入って飯食べると0時を回ることはザラだった。そして学校ではずっと野球の事を考える。そんな日々が毎日だった。
特に野球の練習は走り込みがしんどくてあんなにしんどいのは今までで一番だった。肉体労働をいくつかして来たがあの時の練習に比べたら屁でもない。記録を取られてその記録次第ではレギュラーになれるチャンスがある。ノックの一球ですら油断するとレギュラーから降ろされる。そして毎日走り込みは10キロ。試合中エラーして監督やコーチにバットでしばかれたり平手で殴られたり中学生にしては良い訓練だった。
そのリーグの一番近くのチームにはあの有名なダルビッシュがいた。
ちょうど私が入団した時には、卒団していて3歳違いなので直接見てはなかったが風の噂で彼が全国区になる前から噂は聞いていた。すごい選手は他にもいっぱいいた。プロに入った選手もいたし、中学生の頃からスポーツメーカーのスポンサーが付いている先輩もいた。その先輩は学力の5教科500点満点で20点を叩き出した強者である。
そんな選手を見ることができて自分には才能がないなと気づかされた。中学2年生に公式戦があってそこで見たピッチャーが凄くて、投げている姿が今でも忘れられない。
球の質・マウンドさばき・オーラ全てが見たことのないレベル。高校生でも打たれへんやろなと思った。実際そのピッチャーは1年生から夏の甲子園で投手として活躍していた。その後プロに行き今はアメリカのメジャーリグで活躍するドジャーズの前田健太投手だった。
そう言った経緯で私は中学の途中で野球を辞めた。そしてその後草野球もせず野球は見る専門になった。野球をやっていて良かったのは根性が身についた。張り込みはしんどすぎて戻すこともあったがそのおかげで学校で行われる冬の持久走は陸上部に負けることはなかった。
続けることはとても素晴らしいと思う。
そして自分の能力に気づき諦めることも素晴らしい事だと感じた。