24歳で無事教員免許を取得して25歳になる4月から憧れの教員になれると夢と希望を抱きならその時を待っていたわけです。
しかし現実はそんな簡単ではなく、
「産休の先生の代わりに来てもらうかも知れません」
と言われていた某教育委員会から結局声がかからず私は完全にニートになってしまった。
急いで仕事を見つけようとしてもやっぱり先生は諦められないのでいつ声がかかっても良いようにすぐに退職できる職場を探していたら、たまたま知り合いの建築現場の仕事を紹介してもらいそこに務める事になった。
作業着にニッカポッカにヘルメットという建築業界は自分が想像し憧れていた世界ではないけどいっぱい勉強になる事があった。
◯何もない体育館にステージを作り水を張って大量の窒素で固めてアイスリンクを作る
◯京都にある任天堂の本社内で作業していると、社内の非常階段のマークが緑の人間でななくてマリオが走ってるマークだった。
◯百貨店の閉店後の夜中、店内の工事をいろんな業者が入り、数百人一晩かけて作業して朝には撤収作業を完璧に終え何事もなかったように、朝百貨店が始まる。
毎回違う現場に行くときは「今日はどんなとこかな」「何か面白い事あるかな」と楽しみになっていた。
やっと現場の人とも仲良くさせて頂いて、仕事も少しずつできるようになってきた夏の終わり8月27日の昼休憩の時に携帯電話が鳴った。
相手先はとある学校の教頭からだった。
「急な話で悪いねんけど、隣の学校で先生ひとり辞められるねん。だから9月1日から行ってもらわれへんかな?」
しばらく会話してると現場の人が会話の内容に気づき静かに私の方を見てくれていた。
電話が終わると私は嬉しい反面、現場の人に申し訳ない気持ちになった。
前々から教員に空きが出たらすぐに行きますとは言っていたものの
今まで一から教えてもらっていたのに申し訳ないなと思ってみんなの方を見ると
全員笑顔で「良かったな」「いつから先生や?」と逆に喜んでくれていた。本当に暖かい職場に恵まれてこの仕事をして良かったと心から思った。
建築現場は働く前まではあまり良いイメージはなかったけどそれは私の勝手な先入観でとても暖かい人ばっかりだった。
その現場を最後に私はこの仕事を退職して
いよいよ教員になるのだった。