学園で暮らす親の顔も見た事のない子供達 人生編12

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私が2校目に勤めた学校は70〜80人は「学園」という児童施設で生活する子どもたちがいる。要は保護者や親と一緒に住んでいない。他人同士で生活している施設のことである。

そこには小学生から高校生までが共同で生活をしている。

 

一般的な家庭からは想像しにくい状況だが、ここの子供達は幼い時からそこで暮らす子どもがほとんどでなので親がいなくても職員さんと共に生活することに慣れている。

 

 

ここに来る理由は様々な理由がある。

・親が逮捕された場合

・親に養育する力がないと判断された場合

・赤ちゃんの時に親に捨てられた場合

・暴れたりして親では制止できない場合

・親にセクハラを受けている場合

・親から虐待がある場合

私が関わった生徒だけでもこのような理由で施設で暮らしている。

もちろん子どもの認知レベルによってはこれを理解して施設で過ごす子もいれば知らない方が良いということで本人に知らせずに施設で過ごす子がいたりする。

 

でも体育大会などでは施設の職員さんはもちろん保護者も来校することがある。(もちろん福祉センターや施設の方の許可を得て来校する)

しかし保護者が刑務所にいる子や親が会いたくないと言っている場合は本人が会いたくても会うことができない。

 

体育大会のお弁当休憩では私たち教員は率先して一人でいてる子の近くでお弁当を食べたりする。

 

ある日の授業参観で施設で暮らしている中学2年生の女の子は父子家庭で一度も父親と会うことができなかった。理由は父親の方が子供と距離を置きたい(会いたくない)ということだった。

しかし女の子はそんな事は知らないので授業参観中に

顔もわからない声も知らない自分の父親を探し回っている。

「私のお父さん?」

と知らない男性の保護者に尋ねている姿を見ると心が苦しかった。

 

 

私たちは片親と共に生活したり両親とともに生活することが当たり前になっているので、親にひどい事や偉そうな事を言うことができるが一緒に暮らせず顔も見たことのない子供もいる。

「ありがたい」の反対語が「当たり前」だとしたら、この子にとってありがたいと当たり前の感情は両方とも感じた事がない。

愛着を受けていない事で成長段階に支障をきたす。(愛着障害)

 

施設から来ている他の生徒も自分の親は来れないとわかっているから保護者が来る授業参観や体育大会時には妙に気分が不安定になる事があったりする。

 

私も教員を経験していなかったら、ドラマでしかこう言った生活をしている子供を見た事がなかったが実際に見るとそこにはリアルがあって理論で考えるより子どもの心に寄り添う事しか考えれなくなる。そして自分の身の回りのことがありがたいから当たり前になっている事にきづく。

 

 

そしてこの子たちの未来はどうなるのかというと・・・

18歳以降は児童という扱いではなくなり「障害児」から「障害者」になる。

・働くことができて企業に採用してもらった子供は自立する道を歩む子もいる。(ほんの一握り)

・就職できなかった人は「就労」と言って就職できるようになるために訓練しながら働くことを覚える環境(給料もあり)で成人の施設から通う人もいる。

・働くことが困難な場合には生活介護と言って日常生活を自立して行えるように訓練をする施設に入る。

 

近年の社会では肩書きや学歴などが関係のない実力主義の社会になって来たとはいえ、障害があるというだけで能力の有無に関わらず日の目を見ないまま生活している人が何人もいる。

 

これを私一人の力でどうにかできる問題ではないが、これを一人でも多くの人に知ってもらうことはできると思うので今回書かせてもらいました。

 

普段自分が関わることのない障害児・障害者かもしれませんが、この人たちが一番輝けるのは学生時代だけであとは輝く場がないというのが綺麗事抜きの現実なのです。

 

 

これを読んで何かする必要はないと思うんですが何か感じてもらえたら嬉しいです。