25歳から念願の教員に‼︎ 人生編⑧

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いよいよ9月から念願の教員になることが決まった。

その学校までは自宅からの通勤時間は2時間‼︎

最初は「えっっ‼︎遠ッっ」と思いましたが念願の教員になれるんだったら何時間でも寮でもなんでも行こうと覚悟ができました。

 

いざ初めて学校を訪れる日がきました。

そこの学校は一般校ではなく「支援学校・養護学校」と呼ばれる学校だった。

 

この支援学校・養護学校というのは各都道府県でどちらかの呼び方で呼ばれていて障害のある子どもが通う学校です。

普段自分の行動の範囲ではあまり見ることのなかった人たち。
デパートに行っても、スポーツをしていても、外食をしていてもあまりみたことがない。

やっぱり自分が知らない事や自分が体験した事のない事って不安になりますよね。
「障害のある子どもってどんな感じなんかな?」

いざ2時間かけて学校に行って見るとその日たまたま夏休みの登校日で子どもたちが学校に登校していた。

支援学校には基本的にスクールバスがありそれに乗って生徒は登下校をする。だから何台ものバスが学校にあるのも支援学校ならではの風景である。基本的に支援学校は小中高が一つの学校内にあることが多いので人数も思っているより多い。

 

まず事務室に挨拶に行った。もちろん普段着慣れないスーツを着て。
すぐに私が勤務する教室へ案内してくれた。そこは車椅子の生徒が8人いた。ここの学校は基本的に車椅子に乗っている生徒が通う学校であった。

支援学校の中には5種類の学校がある。

1目に関する障害の「盲学校」
2耳に関する障害の「聾学校」
3知的に関する障害の「知的学校」
4身体に関する障害の「肢体不自由校」
5病院内で長期入院を余儀なくされている子どものための「院内学校」

 

そのうちの私は4番目の肢体不自由校に赴任したというわけだ。

・人生で一度も車椅子を押したこともない。

・給食も食事介助と言ってご飯を食べる事も立派な学習として指導する必要がある。

・トイレだって介助が必要なため抱きかかえる事があるが、誰かを抱いた事はない。

・基本的にオムツを着用しているのでどのようにオムツを変えたら良いかわからない。

 

その一日で山のように不安が出てきた。
でもここで働いてる先生たちだってそんな日はあったわけで徐々に立派な先生になったんだろうと思うとそんな不安も吹き飛んでこれから毎日勤務するのが楽しみになった。

 

次の日には学校内の教員間で私の噂がまわっていたらしい。(後々仲の良い先生に話を聞いた)

「昨日来てたチャラ男‼︎あれ大丈夫?」と言われていたらしい。

 

確かに夏ということもあって真っ黒に日焼けしていたから
いくら爽やかな笑顔を振りまいても好印象は持ってもらえなかった。むしろ逆効果だった。笑

 

初日生徒を迎えに行くと「誰やろこの人?」みたいな顔で様子を見てくる。
障害があってもなくても子どもは子どもだった。

 

私のクラスには簡単な言葉のやりとりはできる子がいたがほとんどは言葉のやりとりができないので生徒の反応をよく見る。

私には全くわからないのに先生たちは
「あらー今日機嫌良いやん」とか「何怒ってんの?家で母ちゃんとケンカして来たんか?」とか次々に表情を読み取り会話をする。

 

最初はどう踏み込んでいいかわからない自分がいたが
「先生は時には演じる仕事」
と前誰かに言われたことを思い出して子どもたちに自分からガンガン話をしに行くようになった。

 

すると子どもたちの表情や持ち物が変わったなどにすぐに気づけるようになって来て務めて1週間もしないうちに生徒が大好きになった。

 

前までは障害があるから可哀想だなと思ってる自分がいたが

一人一人健常者も障害者もみんな個性があって困難な部分はお互い助け合ったら良いだけで可哀想なんて思わなくなった。

そう思っていた過去の自分が可哀想だなと今は思える。

生徒たちは様々な子がいて

イケメンの実習生の男子が来るとニヤニヤする女子。

給食までずっと寝てるのに給食になった瞬間に起きるぽっちゃり女子。

たまに出るウンチが強烈に臭くて「クサっ」と嫌がる私の反応を見て喜ぶ男の子。

普段大人しくて人見知りだけども女性に興味がある男の子は私と一緒に校内の若い女の先生のところに一緒に行き二人でナンパしたり

 

子どもたちは毎日学校に来るのが楽しそうだった。自分は当時中学生の時に学校に行くのは退屈なこと嫌なことだったので、楽しいと思って学校に通うことができたら自分も幸せだったのにな・・・と少し羨ましくなるくらいだった。

 

わからないなりに全力で生徒に向き合う。全力で家族と向き合う。赴任した一年目が中学3年生の担任で卒業まで半年だったが、その子が今後に向けて足を手術するかもしれないという話になったりして何度家庭訪問をしたかわからないくらい家に行った。

 

そしたら子どもたちは言葉はわからないにしても何かを感じて何かを伝えようとしてくれる。大人になると人とこんなに向き合う事はないけど子どものためなら向き合える。

 

知らぬ間に通勤時間の2時間は毎日今日の子どもを想像してニヤニヤする楽しみな2時間になった。そう思えた最初の半年だった。